Vol. 32 DIGITAL WELL-BEING 日本にウェルビーイングを | WIRED
https://gyazo.com/7ddc33844866fb4474aa9bde2c07d327
『WIRED』日本版VOL.32は、いま人類が必要とする「ウェルビーイング」の意味を問い、その可能性を更新する特集「DIGITAL WELL-BEING(デジタル・ウェルビーイング)」を掲げ、3月14日に発売。自然を積極的にハックする「WIREDリトリート」からスタートし、テクノロジーや動物、ロボットとの共生のなかにウェルビーイングを見出していく試みは、その先にある、感覚の拡張としての「シナスタジア」や、身体の拡張としての「トランスヒューマニズム」へと至る。デジタル時代のウェルビーイングの可能性を問う一冊は、同時に、西欧的個人主義に根ざした幸福の定義へのカウンターとしての「日本的ウェルビーイング」を提示する。『WIRED』日本版が標榜する自然とテクノロジーの融合の先に、新たなウェルビーイングは生まれるのか? その世界観を描写する表紙のロボットはデザイン:弐瓶勉、CG:白組によるオリジナル。
幸福ってなんなの?ということが緻密に、ざっくりと、気楽に書かれていておもしろかった。
かつてのロマン主義運動では、自然こそが人の魂と創造性を救済すると考えていたけれど、いまや最新の脳科学がそれを証明しようとしている。
ポーラ化成工業は「よい肌状態と関連する」細菌が農場や植物のある環境など、アウトドアにあることを突き止めた
深く呼吸をしてゆっくりと目をつむり、メディケーションをすることで、心が落ち着き、脳に変化がもたらせる。海馬の灰白質が増えることで認知機能が上がり、扁桃体が小さくなってストレスが減るのだ。 選挙によるリベラルな民主主義や自由市場などから成り立つわたしたちの社会は、18世紀の哲学思想を基盤に築かれたものです。これは21世紀の科学的知見とは折り合わないだけでなく、そもそもわたしたちがいま手にしているテクノロジーとも相容れないものです。われわれの社会は、「物事をいちばん理解しているのは有権者である」「顧客は正しい」「オーソリティは人間の気持ちの味方である」といった考えを基盤としていますよね。これは人の感情や選択は何者にも侵されない聖域であることが前提になっています。つまり究極的にいえば、自分の選択や欲望は自分の意志を反映させたものであり、誰もそこにはアクセスできないという考え方です。しかし、これが真実だったことは1度もありません。 例えばコカ・コーラはわたしの秘密を知っていて、上半身裸の男のコマーシャルを見せてくる。ライヴァルのペプシは高度なアルゴリズムを使っていないので、ビキニを着た女の子のコマーシャルを流す。自然とわたしはコカ・コーラを買い、なぜそうしたかは意識していない。自分でコークを選んだと思っているのに、実際はハックされていたわけです。 行動経済学者のダン・アリエリーも、人間はお世辞だとわかっていても褒められると喜んでしまう 誰もが脆弱でハック可能だと認識することが第一歩
2歳のとき、自分のことをいちばんよく知っていたのは母親です。でも成長するにつれ、自分のほうが母親よりも自分を知る段階に至ります。そこで突如、今度は企業や政府に追いかけれれるようになるのです。ぴったりと背後に迫ってくる企業や政府が、自分よりも自分のことをよく知るようになるかどうかが重要な分岐点です。だから逃げなければならない。
自分を知ることの重要性は、かつてないほど強まっています。大昔の本にも「汝自身を知れ」と書いてあります。でも昔は競争する必要はありませんでした。誰かがあなた以上にあなたを知ろうと競争を仕掛けてくることもありませんでした。何らかの活動に加わりましょう。力を合わせた50人は、個々のアクティヴィスト50人よりもはるかにパワフルです。例えば、スタンフォード大のジェイムズ・フィシュキン教授は「熟議民主主義」についての研究をしています。ホテルの1室にランダムに人を集め、2日間にわたって専門家が講義をすると、考え方に変化が生じ、偏向化が弱まって合意点が見出しやすくなるそうです。
とても重要な問題なのに、市場にまかせていたのでは、解決に至らないことがある。その時できる唯一のことは、世界が抱えるグランド・チャレンジを示すことだ。そうすることで、きらめく才能をもった人々を呼び込むことができる。
1900年8月まで遡る。のちに現代数学の父と呼ばれることになるダフィット・ヒルベルトは、パリで開催された国際数学者会議において、「数学における23の未解決問題(グランドチャレンジ)」を提示した GDPという概念を発明し、後にノーベル賞を授与されたサイモン・クズネッツによる以下の発言がある。「世界には4種類の国がある。先進国と途上国、そして日本とアルゼンチンだ」。クズネッツがこの発言をしたのは、1960年台。まだ人々が世界を単純にとらえていた時代だ。そして重要なのが、日本とアルゼンチンの位置づけである。というのも当時、先進国から途上国に落ちた唯一の国がアルゼンチン、逆に途上国から先進国に上がった唯一の国が日本だったのだ。 その日本で、経済や寿命が大きく延伸したのにもかかわらず、「命の質」は全く変化していなかった。
「ぼーっとする時間」が増えていた
「生活が便利になり、医学の発達で寿命が長くなると、果たして何が問題となるか?」という予想である。なんとそれは「退屈」だというのだ https://gyazo.com/a942420636ee7fa51b24a07c9f57806d
中国人のスーミン・スー(医師)である。「世界兵はの礎は、健康であるべきだ」という強い信念をもち、World Health Organizqation(WHO: 世界保健機関)の創設を訴え、認められることになる。 「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてがウェルビーイングな状態にあることをいう」。